旧・戸塚競馬場(神奈川県)
1933(昭8)年〜1942(昭17)年

当初、東海道本線の駅計画に戸塚駅は無かった


江戸側の保土ヶ谷宿と小田原側の藤沢宿の間は四里もあり
その間の道は険しかった

途中宿が欲しいという庶民の声に応える形で
東海道の宿駅として、その計画に加えられることとなり
1887(明20)年:
戸塚の地に国鉄東海道本線の駅が開業された


その後、鎌倉・浦賀方面に行く人々もここを利用したので
戸塚の駅は大いに賑わったという
しかし
当時は宿場町側の西口にしか改札口は無かった



1933(昭8)年:多くの人が集まる駅となった戸塚の東側の未開の吉田町に
神奈川県畜産組合連合会にて競馬場が設けられ戸塚競馬場が開設された

3月と9月の競馬開催時には
予想以上の見物客も現れ
その
見物客のため
戸塚駅の
東側に改札口が設けられた


川崎の
大師河原の競馬場よりも大きい延長1,600m・幅員30mという走路を抱えており
軍馬資源保護法によって鍛錬馬場にも指定されていた



<昭和12年秋季・戸塚競馬會主催・複勝式勝馬投票券>


しかし
戦争という悲劇が時代を変えた
戸塚
駅前という好立地であった為
馬場は
軍用馬専用の訓練場に変えられ
1942(昭17)年:
戸塚競馬場駅から離れた戸塚区汲沢町に移転という形で幕を閉じた



神奈川県横浜市戸塚区吉田町